「新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡巡り」を共催

2007年12月8日 土曜日

 高梁市青年経済協議会・高梁商工会議所では、平成19年12月8日(土)午後1時30分から、地域資源∞全国展開プロジェクトの一環として「新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐり」を開催、高梁地域づくり交流会も共催いたしました。当日は会場の高梁基督教(県指定史跡)に参加者約20人と主催者が集合、高梁市青年経済協議会井上会長の挨拶の後、講演会に入り、講師の高梁基督教会牧師八木橋康広氏より「新島襄と草創期の高梁基督教会」をテーマに講演をいただきました。
 
 続いて、午後2時40分から、八木橋牧師に解説をいただきながら史跡めぐりを行いました。教会堂前を皮切りに、「順正女学校発祥の地」(向町)、「順正女学校寮跡」(伊賀町・県史跡)、新島襄と交流のあった備中松山藩士加納格太郎のお墓のある「頼久寺墓地」、二宮邦次郎、福西志計子、木村静、赤木蘇平をはじめ草創期の高梁基督教会を支えた方々のお墓のある「共同墓地」を巡りました。そして、高梁基督教会初代牧師を務めた「二宮邦次郎の生家跡」(御前町)、福西志計子も講義を受けた山田方谷の私塾「牛麓舎跡」、有漢教員養成所が前身の「高梁日新高校前」、明治12年の初代県議で高梁にキリスト教を導き入れた「柴原宗助邸跡」(本町)、明治12年キリスト教講義所兼診療所が置かれた「重屋旅館跡」(新町)、天誅組の乱に参加した備中松山藩士の「原田亀太郎生家跡」、明治16年に民家を改装して仮の教会堂とした「旧高梁基督教会跡」(鍛冶町)、明治5年学制公布により高梁小学校となり、福西志計子、木村静が教員としてつとめていた「藩校・有終館跡」の13か所を巡りました。今回は、明治初期に高梁に大きな影響を与えた高梁基督教会の史跡を巡り、高梁の近代の歴史を再発見いたしました。

教会 講演会 順正女学校寮跡 柴原宗助邸跡