「新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡巡り」マップ・ポスターを作成

2007年12月8日 土曜日

高梁商工会議所・高梁市青年経済協議会・高梁地域づくり交流会では、地域資源∞全国展開プロジェクトの一環とし12月8日に実施したツアーに合わせて「新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐり作成いたしました。

同マップ・ポスターは高梁基督教会の八木橋牧師に考証・解説いただき作成したもので、明治初期の高梁に大きな影響を与えた新島襄と高梁基督教会の史跡「高梁基督教会」「順正女学校発祥の地」(向町)、「順正女学校寮跡」(伊賀町・県史跡)、新島襄と交流のあった備中松山藩士加納格太郎のお墓のある「頼久寺墓地」、二宮邦次郎、福西志計子、木村静、赤木蘇平をはじめ草創期の高梁基督教会を支えた方々のお墓のある「共同墓地」、高梁基督教会初代牧師を務めた「二宮邦次郎の生家跡」(御前町)、福西志計子も講義を受けた山田方谷の私塾「牛麓舎跡」、有漢教員養成所が前身の「高梁日新高校前」、明治12年の初代県議で高梁にキリスト教を導き入れた「柴原宗助邸跡」(本町)、明治12年キリスト教講義所兼診療所が置かれた「重屋旅館跡」(新町)、天誅組の乱に参加した備中松山藩士の「原田亀太郎生家跡」、明治16年に民家を改装して仮の教会堂とした「旧高梁基督教会跡」(鍛冶町)、明治5年学制公布により高梁小学校となり、福西志計子、木村静が教員としてつとめていた「藩校・有終館跡」などを紹介しています。
詳しくは、高梁商工会議所総務課へお問い合わせ下さい。

「新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡巡り」マップ