備中「高梁~玉島」高瀬舟の歴史を辿るツアー(講師・郷土史家松前俊洋先生)を実施

2007年9月22日 土曜日

備中高梁駅
備中高梁駅

  高梁商工会議所では、平成19年度「城下町高梁・高瀬舟再発見プロジェクト」事業として、城下町の資源を活かした新しい観光を進めていこうと、「高梁~玉島」の広域観光推進プログラムを計画しています。玉島地区(倉敷市)は約350年前、現在の高梁市を中心とした備中松山藩・水谷公により新田開発が行なわれた同じ備中松山藩の飛び領地。
  
  玉島港は来年築港350年を迎えかつては玉島と高梁は、高梁川と高瀬通しで結ばれ、高瀬舟を通じて交流が盛んに行われていました。こうした歴史的つながりを掘り起こし、再発見していくと同時に、これからの玉島~高梁一体観光に繋げていこうというもので、今年度備中「高梁~玉島」一体観光コースの第1弾として、平成19年9月22日(土)に、松前俊洋氏(高梁市落合公民館長)を講師に、備中「高梁~玉島」高瀬舟の歴史を辿るコース」を高梁商工会議所・高梁商工会議所青年部主催(高梁地域づくり交流会共催)で実施いたしました。

 当日は関係者含め33人が参加、午前9時にバスで備中高梁駅を出発、最初に高梁市観光駐車場で、松前先生より、高瀬舟と常夜灯について説明をいただきました。また落合橋付近へ移動し、実際に高梁川に降りて「猿尾」(高梁市近似)を見学しました。「猿尾」とは、川の水勢を抑えるために岸から川の中央部に向かって突き出した土手のようなものです。岸から猿のしっぽのよう細長く伸びているためこの名がついたそうです。

 そして湛井(総社市)を通り、倉敷市船穂に残る「高瀬通し」の取水口である一の口水門に到着しました。高瀬通しは新田の灌漑用水と、高瀬舟による運輸を目的に、備中松山藩主・水谷勝隆、勝宗父子によって作られた運河で、船穂町の一の口水門から高梁川の流れを導き、長尾・爪崎を経て、玉島港に通じていました。川幅3.7m全長約9.1kmで、二つの水門の開閉によって水深を調節し船を通す仕組みで、パナマ運河より240年も前に作られた我国初の閘門式運河と言われています。

 その後バスは高瀬通し跡の水路沿いを通ながら、倉敷市玉島地区へ入り、玉島歴史民俗海洋資料館を見学。そこからは徒歩で古い町並みが残る新町通りを散策、回船問屋西国屋跡や明治の漢学者川田甕江の生家跡「安原倉庫事務所・本宅」前で解説をいただきました。また、安原倉庫さんにお世話になり、同社の倉庫も特別に見学させていただきました。堤防に築かれた新町通りには、玉島の繁栄を支えた問屋の跡が数多く残っています。

 続いて、万治元年(1658年)、備中松山藩主水谷勝隆が玉潟干拓の際、工事の成就を祈願して建てた羽黒神社に到着、福田宮司にお話を伺いました。最後に、西爽亭(旧柚木家住宅)を訪問しました。柚木家は、かつて藩主に仕え、庄屋も努めた家で、天明元年(1781年)の建築といわれ、当事のまま保存されています。備中松山藩家老の熊田恰が、慶応4年玉島戊辰の変の時に、玉島を守るため自刃した歴史の舞台としても知られています。

 今回は、松前俊洋先生に解説をいただきながら、高梁市から玉島まで高瀬舟の歴史とつながりを辿った新しい観光で、両地域のつながりを再発見することができたツアーで参加者も大変喜ばれていました。また、高梁~玉島ツアーと言う事もあり、当日、多くの商工会議所関係者をはじめ玉島の皆様方にご配慮とご協力をいただき、ツアー運営につきまして大変お世話になりました。お世話いただきました玉島の皆様方から、「玉島と高梁のつながり深さと大切さ」を新ためて教えていただいツアーでもありました。

高梁市観光駐車場・高瀬舟
高梁市観光駐車場・高瀬舟

高梁市観光駐車場前・常夜灯

猿尾(高梁市)
猿尾(高梁市)
猿尾(高梁市)
バス
松前先生・バス内で説明

高瀬通し・一の口水門(船穂)

高瀬通し・一の口水門(船穂)

高瀬通し跡(水路)をバスで通る

高瀬通し跡・水路(新倉敷駅近く)散策

昼食・味処「蔵」

玉島歴史民俗海洋資料館見学

玉島新町・旧西国屋前

玉島新町・安原倉庫見学

玉島・羽黒神社

玉島・羽黒神社集合

玉島港・河井継之介逗留の船宿跡

舟だまり跡見学

西爽亭(会議室で説明)

西爽亭見学