薬師院・松連寺・定林寺

 薬師院・松連寺
 薬師院・松連寺 ・ 定林寺
 定林寺

 松連寺
 松連寺真言宗御室派仁和寺の中本寺で、本尊は大日如来である。現在の寺は明暦3年(1657)、市内奥万田より備中松山藩主・水谷伊勢守勝隆により移築されたもの。武家諸法度で城の新築は禁止され修理も難しい時代に、城の砦として築いたことは、城郭づくりそのままの石垣がよく物語っている。
 本堂右にある観音堂には、秀吉が朝鮮へ出兵をした文禄の役(1592~1593)の総督、岡山城主・字書多秀家の御座船の格天井と船戸がある。ともに県指定重要文化財である。

薬師院 
薬師院は寛和年間(985~987)花山法皇の開基といわれる。
 真言宗に属し、本尊は薬師瑠璃光王如来で、50年毎に秘仏御開帳法要がある。本堂の薬師堂 は、元名10年(1615)の建築。勾配のきつい大屋根とこれを支える組物、浅唐戸の彫刻、ほか随所に桃山風の特徴がよく表れている。
 山門右にある大仙堂の石造延命地蔵(市指定重要文化財)は鎌倉期の作風を感じさせるもの裏山には西国三十三観音霊場があり、参拝者がたえない。また、境内には高梁の殖産興業に貢献し、麦かん真田を広めた中村源蔵の碑もある。
 昭和58年に「男はつらいよ」のロケが行われたことで、特に有名になった。

定林寺
定林寺は曹洞宗格地寺院で、寛永20年(1643)、備中松山藩主・水谷伊勢守勝隆が、下館(茨木県)定林寺をこの地に移し、備中国僧録所となった。
 本尊は釈迦牟尼仏である。境内には水谷勝隆、及び三代勝美の二基の五輪塔がある。二代勝宗は江戸に没し、泉岳寺に葬られている。
 寺宝に水谷勝隆・勝宗父子の画像その他がある。水谷三代は、玉島新田の開発、高梁川の船通し、牛市場の開設、城下町の完成、今に残る備中松山城の修築などを成し遂げた高梁市最大の恩人である。5万石で入封、元禄6年(1693)除封になった。


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