福西志計子

福西志計子

ふくにし しげこ
sigeko fukunisi(1847~1898)

教育者。備中松山城下御前町で、松山藩士・福西伊織の家に生まれました。隣家の山田方谷に漢学を学び、岡山裁縫伝習所で裁縫を習ったあと、明治9年(1876)高梁小学付属裁縫所の教師に。

その後新島嚢らの高梁でのキリスト教伝道に共鳴して、目明治13年(1880)にキリスト教婦人会を結成して世話人となりました。翌年、のちの順正女学校となる私立裁縫所を設立。一方では、明治15年(1882)4月に高梁キリスト教会が設立されると、洗礼を受け、同教会の女性の中心的指導者として活躍しました。

「女性に自由な教育」を理念にした順正女学校は、裁縫のほか文学科を設け、神戸などの先進校から女教師を招いて、教育の内容を充実させました。また、洋服が流行し始めるとさっそく上京して洋服の仕立てや洗濯の仕方を学んできて生徒に直接教えました。毛糸の編み物や造花などもいち早く教えるなど、木村静子の協力もあって、高梁での女性の地位向上、女子教育に大きく貢献しました。「人の見えない所に働く者となれ」が信条でした。


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