備中「高梁~玉島」高瀬通したどるツアーを共催

2007年11月24日 土曜日

 高梁商工会議所では、平成19年度「城下町高梁・高瀬舟再発見プロジェクト」(地域資源∞全国展開プロジェクト)事業として、城下町の資源を活かした新しい観光を進めていこうと、「高梁~玉島」の広域観光推進プログラムを実施しています。 
   
 今回は、高梁と玉島地区を結んだ運河「高瀬通し」(倉敷市船穂~玉島間の約10㎞)にスポットをあて、高梁と玉島の歴史的つながりを再発見することを目的に、高梁商工会議所青年部(石井勝司会長)・高梁商工会議所合同で、11月23日(金)に、高瀬通しをたどるツアーを行い、高梁地域づくり交流会も共催いたしました。  
 
ツアーには主催者含め34人が参加、吉備国際大学文化財学部教授臼井洋輔先生を講師に、午前9時にバスで備中高梁駅を出発、最初に落合橋付近へ行き、高梁川の「猿尾」(高梁市近似)を見学しました。そして矢田部(総社市)を通り、倉敷市船穂に残る「高瀬通し」の取水口である一の口水門跡に到着しました。高瀬通しは新田の灌漑用水と、高瀬舟による物流を目的に、備中松山藩主・水谷勝隆、勝宗父子によって作られた運河で、船穂町の一の口水門から高梁川の流れを導き、長尾・爪崎を経て、玉島港に通じ、二つの水門の開閉によって水深を調節し船を通す仕組みで、パナマ運河より240年も前に作られた我国初の閘門式運河と言われています。 

この日は、一の口水門から二の口水門、又串水門まで約1.4㎞を解説いただきながら歩き、その後バスで高瀬通し跡の水路沿いを通り、水路跡に残る樹齢350年の櫨(はぜ)の木なども見学しました。
 そして、玉島地区の新田普請奉行大森元直の墓所のある玉島山安福寺(円乗院)、続いて万治元年(1658年)、備中松山藩主水谷勝隆が玉島干拓の際、工事の成就を祈願して建てた羽黒神社を訪問、福田宮司と臼井先生から神社と玉島の歴史を解説いただきました。特に、今回のツアーのために同神社所有の「太刀・義隆」(県指定重要文化財)を展示いただき、その見事さに参加者も圧倒されていました。最後に、新町筋を通り円通寺を訪問・見学いたしました。
 
 今回は、臼井先生に解説をいただきながら、高梁から高瀬通し跡をたどり、玉島までをつないだ新しい観光で、参加者の皆さんも高梁と玉島の歴史的つながりを堪能していました。
一の口水門 二の口水門 羽黒神社 羽黒神社・太刀義隆特別見学