八重籬神社

八重籬神社

寛政5年(1793)、備中松山藩主板倉勝政の創建で、祭神に板倉家始祖勝重・二代重宗を祀る板倉氏の氏神である。勝重・重宗は京都所司代二代・三代を50余年にわたり勤めた。
幕末の藩主は板倉勝静で、幕府老中であったため、鳥羽伏見の戦に敗れて朝敵となり、江戸・東北・北海道と藩主のみ転戦した。

備中松山の地にあった藩士達は、大阪城から玉島まで帰りついた藩主護衛隊長熊田恰(くまだあたか)が、不調法は一人の責任として自刃したため、兵火を免れ救われた。明治2年(1869)から摂社として本殿右奥に祀られている。

社宝として、備中松山城宝剣三振、藤の胴の太鼓、板倉勝重座像があり、いずれも市指重要文化財である。なお境内には、板倉勝静が農耕の神を祀り、農民の労苦を偲んだと伝える臥牛亭(明農事)や、故幕府老中板倉公(勝静)之碑、故松山藩老熊田君碑、そのほか多数の記念碑が立っている。


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