岡村邸の門

岡村邸の門

岡村邸の門は、明治10年(1877)、本町に設置された上房郡役所の門で、優れて立派なものである。先代の岡村秀治郎が大正年間、郡役所の移転で不要になった門を買い取り、自宅の門とした。秀治郎は旧高梁町時代の郵便局長で、松原町 […]

梶谷邸の武者窓

梶谷邸の武者窓

梶谷邸は板倉藩の家老・野中丈左衛門の屋敷跡の一部で、かつては北側の古い土塀に武者窓があった。今の武者窓は梶谷邸が新築されたあとの昭和53年頃、新しく造りなおした塀に、昔の武者窓を再現したものである。 武者窓というのは、武 […]

西村邸

西村邸

幕末慶応(1865~1868)ごろの豪商の中に、下町川手の北角にある酒屋・葛籠屋喜三郎の名が見える。この葛籠屋が西村家で維新の頃は酒造業を営んでいた。 明治12年(1879)、西村喜三郎は本業のかたわら、第86国立銀行( […]

八重籬神社

八重籬神社

寛政5年(1793)、備中松山藩主板倉勝政の創建で、祭神に板倉家始祖勝重・二代重宗を祀る板倉氏の氏神である。勝重・重宗は京都所司代二代・三代を50余年にわたり勤めた。 幕末の藩主は板倉勝静で、幕府老中であったため、鳥羽伏 […]

山中鹿介の墓

山中鹿之介の墓

「われに七難八苦をあたえ給え」と三日月に祈った尼子十勇士のひとり山中鹿介(しかのすけ‐本名:幸盛)は、天文14年(1545)に月山富田城の麓に生まれました。数々の武勲をたて、毛利家に滅ぼされた主家尼子氏の再興を夢みて播州 […]

高梁市商家資料館(池上邸)

高梁市商家資料館(池上邸)

古い商家の並ぶ本町通りにあって、ひときわ目を引くのが池上邸です。池上家は享保(きょうほう)年間にこの地で代々小物屋や両替商などを行っていましたが、明治28年、8代目の当主の時、醤油の製造を始め、昭和37年まで続けられまし […]

高梁市郷土資料館

高梁市郷土資料館

郷土資料館は、旧高梁尋常高等小学校の本館で、明治37年(1904)に建築され、市の重要文化財に指定されています。 樅(もみ)材を使い、無節柾目(むぶしまさめ)の良材で念入りに施工してあります。特に階上の講堂は桃山風の豪快 […]

岡山県指定石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村

石火矢町ふるさと村

石火矢町さと村は、岡山県下7か所の「ふるさと村」の一つで、昭和49年12月に指定されました。この「ふるさと村」は、通りの両側に土塀が続き、明治維新以後120 年以上になる現在も、武家屋敷としての面影を深くとどめる石火矢町 […]

二人の内蔵助・大石内蔵助腰掛け石

大石内蔵助腰掛け石

   備中松山城登山道の途中に、大石内蔵助の腰掛け石がある。 高梁の基礎をつくった水谷三代”の三代目、勝美が元禄六年(一六九三)三十一歳の著さで急死、継子も十三歳で亡くなったため、幕府は水谷家を断絶、所領没収という報われ […]

日本一の山城・備中松山城

備中松山城

備中松山城・武家屋敷 備中松山城 市街地の北端にそびえ「おしろやま」の愛称で市民に親しまれている「臥牛山」(標高480m)北から、大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの峰からなり、備中松山城は、そのいただきを中心に全域に […]