備中松山踊り・備中神楽

2012年12月20日 木曜日

備中松山踊り
備中松山踊り

備中松山踊り

高梁の夏を彩る備中松山踊りは、毎年8月14日~16日の3日間、駅前大通りで開催されています。期間中は、数万人の人々で踊り一色となり、その規模は、県下最大を誇っています。
踊りの歴史は古く、江戸時代の初め(1648年)時の備中松山藩主、水谷勝隆の時代から踊り始めたもので、これを「地踊り」と呼んでいます。
また、江戸時代中期(1744年)時の藩主、板倉勝澄が始めた武士の踊りは、「仕組み踊り」と呼ばれています。 この「地踊り」と「仕組み踊り」併せて今日では、「備中松山踊り」となっています。
「ヤトサ」は、昭和の初期に郡部から移入された踊りで、そのテンポの早さが人々に受け、今では、完全に備中松山踊りになくてはならない踊りとなっています。

備中神楽
備中神楽

備中神楽(国指定:重要無形民俗文化財)

備中神楽は、岡山県を代表する郷土芸能で全国に知られています。
江戸時代の文化文政の頃(江戸末期)、成羽の国学者で神官でもあった西林国橋が古事記日本書記の日本誕生にまつわる神話の中から「天の岩戸開き」などを選び劇化しバラエティーに富んだ芸術性の高い郷土芸能に仕上げました。現在では、備中地域の各神社の秋祭りに奉納されるようになり、備中神楽は、人々の生活の中に強く生き、親しまれています。