新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐり

2012年12月20日 木曜日


高梁基督教会堂

高梁基督教会堂

迫害石・高梁基督教会

順正女学校発祥の地

順正女学校発祥の地

旧順正寮跡

新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐり

明治22年に建築された高梁基督教会堂は、高梁市街地の近代化遺産を代表する建造物(県指定史跡)であり、現存する県下最古の教会堂として美観地区の中でも独特の景観を保っています。また、新島 襄、順正女学校の創立者で女子教育の先駆者・福西志計子、社会福祉家・留岡幸助など近代を代表する人物も高梁基督教会との深いつながりがありました。

「順正女学校寮跡」(伊賀町・県史跡)をはじめ、新島襄と交流のあった備中松山藩士加納格太郎のお墓のある「頼久寺墓地」、二宮邦次郎、福西志計子、木村静、赤木蘇平をはじめ草創期の高梁基督教会を支えた方々のお墓のある「共同墓地」、高梁基督教会初代牧師を務めた「二宮邦次郎の生家跡」(御前町)、福西志計子も講義を受けた山田方谷の私塾「牛麓舎跡」、有漢教員養成所が前身の「高梁日新高校前」、明治12年の初代県議で高梁にキリスト教を導き入れた「柴原宗助邸跡」(本町)、明治12年キリスト教講義所兼診療所が置かれた「重屋旅館跡」(新町)、天誅組の乱に参加した備中松山藩士の「原田亀太郎生家跡」、明治16年に民家を改装して仮の教会堂とした「旧高梁基督教会跡」(鍛冶町)、明治5年学制公布により高梁小学校となり、福西志計子、木村静が教員としてつとめていた「藩校・有終館跡」など、教会ゆかりの地も数多くあります。

新島 襄と草創期の高梁基督教会の史跡を巡り、高梁の近代をご堪能下さい。


頼久寺・墓地

共同墓地

牛麓舎跡

柴原宗助邸宅跡(商家資料館)

旧高梁キリスト教会跡

藩校「有終館」跡

新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐりパンフレット
高梁商工会議所では、高梁市青年経済協議、高梁地域づくり交流会と合同で、高梁基督教会の史跡を巡りを行った他、高梁基督教会牧師八木橋康広氏の考証・解説による、「新島 襄と草創期の高梁基督教会の史跡巡り」PRポスター、パンフレットも作成しています。

新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐりパンフレット[新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐりポスター・パンフレット]