高梁

八重籬神社

八重籬神社

寛政5年(1793)、備中松山藩主板倉勝政の創建で、祭神に板倉家始祖勝重・二代重宗を祀る板倉氏の氏神である。勝重・重宗は京都所司代二代・三代を50余年にわたり勤めた。 幕末の藩主は板倉勝静で、幕府老中であったため、鳥羽伏 […]

山中鹿介の墓

山中鹿之介の墓

「われに七難八苦をあたえ給え」と三日月に祈った尼子十勇士のひとり山中鹿介(しかのすけ‐本名:幸盛)は、天文14年(1545)に月山富田城の麓に生まれました。数々の武勲をたて、毛利家に滅ぼされた主家尼子氏の再興を夢みて播州 […]

高梁市商家資料館(池上邸)

高梁市商家資料館(池上邸)

古い商家の並ぶ本町通りにあって、ひときわ目を引くのが池上邸です。池上家は享保(きょうほう)年間にこの地で代々小物屋や両替商などを行っていましたが、明治28年、8代目の当主の時、醤油の製造を始め、昭和37年まで続けられまし […]

高梁市郷土資料館

高梁市郷土資料館

郷土資料館は、旧高梁尋常高等小学校の本館で、明治37年(1904)に建築され、市の重要文化財に指定されています。 樅(もみ)材を使い、無節柾目(むぶしまさめ)の良材で念入りに施工してあります。特に階上の講堂は桃山風の豪快 […]

岡山県指定石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村

石火矢町ふるさと村

石火矢町さと村は、岡山県下7か所の「ふるさと村」の一つで、昭和49年12月に指定されました。この「ふるさと村」は、通りの両側に土塀が続き、明治維新以後120 年以上になる現在も、武家屋敷としての面影を深くとどめる石火矢町 […]

二人の内蔵助・大石内蔵助腰掛け石

大石内蔵助腰掛け石

   備中松山城登山道の途中に、大石内蔵助の腰掛け石がある。 高梁の基礎をつくった水谷三代”の三代目、勝美が元禄六年(一六九三)三十一歳の著さで急死、継子も十三歳で亡くなったため、幕府は水谷家を断絶、所領没収という報われ […]

日本一の山城・備中松山城

備中松山城

備中松山城・武家屋敷 備中松山城 市街地の北端にそびえ「おしろやま」の愛称で市民に親しまれている「臥牛山」(標高480m)北から、大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの峰からなり、備中松山城は、そのいただきを中心に全域に […]

新島襄と草創期の高梁基督教会の史跡めぐり

明治22年に建築された高梁基督教会堂は、高梁市街地の近代化遺産を代表する建造物(県指定史跡)であり、現存する県下最古の教会堂として美観地区の中でも独特の景観を保っています。 また、新島 襄、順正女学校の創立者で女子教育の […]

映画「バッテリー」ロケ地巡り

国道484ループ橋展望台 県立高梁高校(新田東中学校) 県立高梁高校(ロケ・新田東中学校) 柏木邸(巧の家) 小高下(高梁高校上) 高梁市職員駐車場(製材所の空き地) 累計1000万部を超える大ベストセラーとなった、あさ […]

備中松山踊り

備中松山踊り

高梁の夏を彩る備中松山踊りは、毎年8月14日~16日の3日間、駅前大通りで開催されています。期間中は、数万人の人々で踊り一色となり、その規模は、県下最大を誇っています。 踊りの歴史は古く、江戸時代の初め(1648年)時の […]