藩校有終館跡

藩校有終館跡

天保3年(1832)の大火により、内山下にあった有終館が類焼したが、時の学頭奥田楽山が中之町に再興した。同8年(1837)山田方谷が学頭となり、同10年(1839)市中再度の大火によりまた焼失した。嘉永4年(1851)山田方谷が再興したとき、校地に黒松を手植えしたが、老松4本だけが現存している。

明治4年(1871)有終館は閉校し、同5年学制発布後の有終館跡は、啓蒙社・女紅場・高梁小学校・高梁幼稚園などとなり現在に至っている。


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